これを読むと、またポワロが観たくなる!
『カーテン〜ポワロ最後の事件〜(原題 Curtain: Poirot’s Final Case)』でついに完結したイギリスの人気テレビドラマシリーズ『名探偵ポワロ』。
イギリスでは2013年11月に放送、日本でも2014年10月に放送され、その衝撃的なラストにポワロファンでなくても驚いたことでしょう。
俳優生活50年以上。
25年間『原作に最も近い』と称賛されるエルキュール・ポワロを演じ続け、2020年には女王誕生日叙勲で、騎士団に所属しない騎士(Knight bachelor)に叙任されたデヴィッド・スーシェにまつわる意外な真実をご紹介していきます。
- トリビア1:デヴィッドはロンドンっこ
- トリビア2:デヴィッドの名字は『サシェット』だった
- トリビア3:兄はニュースキャスター
- トリビア4:本当は医者になりたかった
- トリビア5:ポワロシリーズデビューはジャップ警部役
- トリビア6:ポワロの原作を一度も読んだことがなかった
- トリビア7:口ひげはつけひげだった
- トリビア8:はまり役は悪役
- トリビア9:ポワロの探偵事務所兼自宅は3億円!
- トリビア10:ポワロと違いスポーツ万能
- トリビア11:The Agatha Christie Society (アガサ・クリスティ協会)の副会長だった
- トリビア12:ポワロのセリフをまったく覚えていない
- トリビア13:40歳でキリストキリスト教に洗礼を受ける
- トリビア14:Twitterで頻繁につぶやいている
トリビア1:デヴィッドはロンドンっこ
名前もフランス風だし、てっきりフランス人かと思っていたら…なんと生まれは英国ロンドン。
生粋のロンドンっこでした。
では、あのフランス語訛りの英語はどうやって身につけたのでしょうか?
そもそもフランス語、しゃべれるのか気になりますよね。
実は、ポワロの役が決まってから、『フランス人と間違えられるベルギー人がしゃべるフランス語訛りの英語』をラジオを聞いて徹底研究。
フランスの田舎で話されるフランス語、ベルギー都市部で話されるフランス語をラジをで聞き比べ、長い間をかけて、あのポワロの喋り方を身につけたんだそうです。
『さよならポワロ!~世界が愛した名探偵・25年の軌跡~』というポワロ最終回の特集番組で、当時のベルギー市長フレディ・シールマンスと会話をするシーンがあるのですが、『Your accent was not too bad.(あなたのアクセントはなかなかよかったよ)』とお褒めの言葉をもらって、ホッとしているデヴィッドが印象的でした。
ちなみに、ポワロじゃないときのデヴィッドは低くて渋いトーンのイギリス英語です。
トリビア2:デヴィッドの名字は『サシェット』だった
デヴィッドの父親は皆アフリカ出身、母親はイギリス人。デヴィッドはロンドン生まれ。
なのに、どうして名字がフランス風なのでしょうか?
やっぱりフランスと何かゆかりがあるの??
ということで、デヴィドの父方&母方両方の名字について調べてみました。
デヴィッドの母方の曽祖父アーノルドはパリからやってきた移民ユダヤ人でした。
(パリ出身ではなく、ユダヤ人迫害を逃れてパリに移住してきたようです。)
名字はジャシー(Jarchy)。
写真家だったアーノルドはロンドンで写真館を開き、『パリで写真館を経営していたおフランスの写真家』という触れ込みで繁盛していたそうです。
しかし、デヴィッドが自分のルーツをたどる特集番組で、アーノルドが経営していたという写真館を探しにパリへ行ったのですが見つからず、パリの写真館はアーノルドの誇大広告の疑いが濃厚に…。
『おパリ風』をかたった曽祖父のずる賢いビジネス手腕と、それにころっと騙された当時のイギリス人に笑うデヴィッド。
その息子(デビッドの祖父)ジミー・ジャシェ(Jarché)が、苗字をジャシー(Jarchy)からフランス風のジャシェ(Jarché)に変えたそうです。
ジミーは、王冠を捨てた恋で知られるエドワード8世とウォリス・シンプソンの写真を撮るなど、初期のイギリスではかなり有名な新聞カメラマンでした。
一方、父方の家族の名字はもともとスシェドヴィッツ(Suchedowitz)といい、リアトアニア出身のユダヤ人でしたが、祖父イジドールが南アフリカに渡った際に、あまりにもユダヤ人っぽい名字を避けてフランス風のスーシェ(Suchet)に変えたといわれています。
ちなみに、スーシェ(Suchet)は、英語読みでは『サシェット』と発音され、デヴィッドももともとはサシェットとして俳優活動をしていました。
ポワロを演じるようになってから、フランス流の読み方『スーシェ』に改名したそうです。
トリビア3:兄はニュースキャスター
デヴィッドのお兄さんは、ニュースキャスターのジョン・スーシェ。
クラシックFMのホストをつとめていて、著書にもクラシック関連のものが多いです。
デヴィッドにポワロの話が来たとき、『お前には無理だからやめておけと兄に言われた』、『兄の言うことは聞くべきじゃない』などデヴィッドはインタビューで語ることがよくあるのですが、ジョン曰く『やってみれば?』と賛成したとのこと。
どちらが真実なのかはわかりませんが、まさか25年も演じることになるとは、ふたりとも夢にも思わなかったでしょう。
トリビア4:本当は医者になりたかった
デヴィッドの父親は産婦人科医で、デビッドも同じく医者になりたかったのだとか。
でも、数学の成績が良くなかったために医学部への進学を諦めたのだそうです。
母親も女優だったようですし、その父親、祖父は写真家という、母方のアーティストDNAを引き継いだんでしょうね。
デヴィッドみたいなお医者さん、実際にいても違和感なさそうです。
トリビア5:ポワロシリーズデビューはジャップ警部役
デヴィッドのポワロシリーズデビューは、実はポワロ役ではなく、ジャップ警部役でした。
1985年にアメリカとイギリスが合同制作した長編ドラマ『名探偵ポワロ/エッジウェア卿殺人事件(原題 Thirteen at Dinner)』にジャップ警部役で出演。
このときのポワロ役はピーター・ユスティノフという俳優で、当時はポワロといえばこの人でした。
今でも根強い人気があります。
デヴィッドがポワロを演じるドラマシーリーズとは違い、このドラマではジャップ警部はポワロをよく思っていないという設定。
現場でも食べてばっかりのダメ警部……
デヴィッド曰く、このときの演技は今までで最悪の出来だったのだとか。
ジャップ警部役の演技をうまくできなかったことについて、デヴィッドはこう語っています。
But I have to say that I am only grateful that when I played Inspector Japp with Peter Ustinov that I gave such a bad performance. I’ll tell you why. Peter went on to do four or five other films after that with the same cast so if I’d been good I would have been Inspector Japp in all those other films. I would never than have been asked to play Poirot.
『でも、ピーター・ユスティノフと共演してジャップ警部を演じたとき、最悪の演技をしたのが本当に幸いしたよ。なぜかというと、ピーターはその後4つか5つかの他の(ポワロ)映画に出演し続けたんだよ。同じキャスティングで。もし、私の演技が良かったら、そのすべての映画で私がジャップ警部を演じることになっていただろうから、ポワロ役をオファーされることは絶対になかっただろうね。』